本書は、高橋哲哉氏の「犠牲のシステム論」によるキリスト教贖罪論批判への応答という枠(「はじめに」・「エピローグ」)の中で展開される極めて良質かつ壮大な新約聖書神学の書です。しかしそれは、単なる記述的な新約聖書神学を超えて、私たちを真の敬神(エウセベイア)と他者への奉仕へと導く霊性の養いの書とも言えるでしょう。

「プロローグ」では、イエスの死を身代わり(代理・代償)とする贖罪論の内包する中心的問題を、「移行性」(ある人の行為の責任と結果が他者に移行すること)に見定め、それが「責任転嫁」(多数者が個人や少数者を犠牲としてこれに責任を押し付けること)を生む危険性を指摘し、さらにその移行性の根底に「神がその子の死に満足する」という「神の加虐性」の問題があることを指摘します。

続く第一章では、イザヤ53章の「苦難の僕」の詩を手掛かりに、神殿祭儀のメタファ内に「罪の解消に見られる移行主題」と「象徴的に悔い改めをともなう敬神と道徳性を促す…啓発主題」が区別されます。二章以下ではこの二つを分析ツールとして、神殿祭儀メタファの「啓発主題」がマカバイ殉教思想を経由して(二章)、イエス(三章)、原始教会(四章)、パウロ(五章)、そしてパウロ以後の教会(六章)へと流れ込む過程を丹念に跡づけ、さらに殉教を主題とする使徒教父文章においてもなお「啓発主題」が中心であることを確認します(七章)。

聖書は「移行性/責任転嫁」も「神の加虐性」も教えない、ということが本書の主張です。その意義は、教会外からの贖罪論批判への徹底的反論である以上に、信仰者に健全な理解を促すところにあります。

浅野氏による「啓発主題」の強調は、伝統的な贖罪論の議論では「主観的」説明として軽んじられる「道徳感化説」の焼き直しではないかと誤解する人がいるかもしれません。しかし、キリストへの「参与」の視点がその誤解への答えとなるでしょう。今後は、本書との対話抜きで贖罪論を論じることは怠惰のそしりを免れないでしょう。ついでながら、本書の綿密で親切な構成により、読者は浅野先生の講義をバーチャルで受講しているかのような贅沢(ぜいたく)も味わえます。
(評・河野克也=日本ホーリネス教団中山キリスト教会牧師)

 

『死と命のメタファ キリスト教贖罪論とその批判への聖書学的応答』
浅野淳博著、新教出版社、2,970円税込、A5判

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